段階的に支援が再開し始めました
今週から養護学校も始まり色々あった学校とも最後の年になります。
ここまで育ててくれた療育センターともこの1年で卒業になります。
自粛からやっと師匠に会えます。
師匠と積み上げた療育のお陰で自粛期間もなんとか乗り越えられました。
今日は師匠と親子の療育の記録を綴りたいと思います。
どこの療育に行けばよいのでしょうか?
とにかく私は知識を欲しがってました。
指導や療法を知りたくて・・・知れば娘が成長すると思い込んでいました。
この頃、薬剤師の知り合い夫婦が「あの先生が有名らしい」と私に教えてくれたので
自宅からちょっと遠い医療センターとそこでの療育を希望していました。
予約待ちでようやく受診するも「うちの管轄じゃないから」
え?市から紹介状もって来たんですけど?なにそれ~!?
支援は平等じゃない事、初めて気が付きました。
弱小の市の福祉課の対応はいつも「何しに来たの?」
ダメだ!!ダメすぎる!!大きな市に引っ越そう!!
(後に引っ越した大きな市の福祉課は姿を見るだけで飛んで来てくれました)
でも1つだけ良かった事。今の療育センターで師匠に会えたこと。
何だか私だけ違いませんか?
グループと個別に分かれていましたが娘は個別でした。
「はいはい、このタイプね。私が担当するけどいい?」
「はい、お願いします。」
「お母さんも一緒に」
「はい?」
私だけなぜか娘と一緒に師匠の療育を受けていました。
(私のヤバさも師匠は見抜いていたのだと思います。)
そして「おかあさんがスケジュールとやること準備して」
「はい???」
あの頃受給者証がなく全てが実費でけっこういいお値段でしたので
なんでお金払って私がやるのですか???
最初のお題は料理でした。(その後は娘の好きな事を沢山しました)
そしてあの頃のノートを読み返すと
「ねこちゃんに気をつけろ!!」
(干物を干している時に猫が来る)
「1:1:1」
(調味料配分)
他にも療育とは関係なさそうなメモばかり。
どんな療育?(笑)
私はとにかく〇〇療法とか知識が欲しいのです!!
料理って意味あるんですか?
料理は最高の療育だった!!
後からじわじわと師匠の教えのすごさに気が付きます。
料理は全てが視覚支援だったのです!!
料理で知らないうちに物事の道理を学んでいました!!
(分量と手順を守らないと完成しない)
食べて美味しい
見て楽しく
みんなが笑顔
すご~い!!
さらに発酵食品を通じて工夫すること・環境の大切さを学びました。
全ての方向から良い最高の療育!!
時代と真逆の教え
いつのまにか放課後等デイサービスや沢山の送迎サービスが出来ていました。
死ぬほど羨ましい!!
私だけランチ出来ない!!
なんで私だけ・・・
正直なんども思いました。
楽したい飽き性な私。死ぬほどコツコツ積み上げる事が苦手な私。
何回か師匠に「これって意味あるんですか?」
と問いかけます。
師匠は何も言わず微笑んでいました。
すべては信頼関係の土台をしっかり作ること
私に主導権を握らせ
お母さんがやるんだよ!!
仕上げてから支援者に任せるんだよ!!
子どもの好きなことを沢山共有して
信頼関係を積み上げることが大事だということ。
この事は本当に本当に痛感しました。
この関係がないとお互いに血を見る事になっていたでしょう((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
娘だけではなく私まで育ててくれた療育と師匠に感謝しています。
そして一番のくせ者の主人までもが成長することになったことはまた今度・・・